おはようございますつんた母です
※謝って一度UPしたのを消してしまったようで
スターつけていただいた方々、ありがとうございます。
昨夜の親単科【オヤタン】
今までで一番授業っぽかったですね(笑)
そして、これを求めて松江に在籍している
と言っても過言ではないと感じました。
そう。
つんた母、この形式で大学へ進学しました。
ずっと、自分ではちょっとズルだったのかな
と、後ろめたい部分があることは否めません。
その反動か、大学入っても数年間は
新聞に載ってくるセンター試験問題&解答が
気になってチェックしていました。
そもそも、
つんた母、高校のレベル感とかまったく知りませんでした。
小5で遠くから引越してきたエリアだったし、
長女だし(一家としては初めての高校受験)
塾行ってなかったし。
(つんた祖母が、遅い時間まで塾に行かすの反対派だった)
当時なぜか気に入られてた部活の顧問に
「お前はOO(先生の奥様の母校)行くんだよな~」
と洗脳され((笑)
確か4倍だった推薦に落ちた後、一般受験で合格したのでした。
今でも忘れない。
面接に上履きを忘れ
その場で借りたスリッパが赤かったことを!( ゚Д゚)
でも受かった(笑)
恐らく塾なしでこの高校へ行けたのは
母がコツコツ、真面目、委員長タイプ
だったからなのだ。
だから、それを高校に入っても、コツコツやっていたのだ(多分)
今でも覚えているのが
数1Aがすっごく気に入って
教科書に書き込みつつ予習をしてた。
ノートに綺麗に書きうつしていた板書の方程式・公式は
教科書に全て書いてあるので(あたりまえ)
そこをノートに書く時間が無駄だと思い
教科書に全て書き込んでいた。
1A2Bの書き込み教科書が自分の中で宝物で
卒業してからもなかなか捨てられなかった。
(3Cは挫折して速攻捨ててた(笑))
失礼をを承知で言うと、
塾で突貫底上げしてきて入学した子は、
合格後ブーストが切れ、1年生、2年生と遊んでいたのかも。
それで、3年からまた塾通いをし、大学受験へ向かっていった。
つんた母は、大学についても無知だった。
母の高校は、正直高卒なんてほぼいない。
でも母は、行きたい大学と言われても全くピンとこず
専門学校でもいいかな、なんておもって両親に相談したくらいだ(ホント)
それでも、父に「遊んでてもいいから大学には行け」と言われ
(高卒と大卒の違いを身に染みて感じてたのでしょう)
でも両親は大学のことなんて何も知らず
一人途方に暮れていたような記憶がある。
進学希望調査とか、毎回地獄だった。
でも、2年の最後と3年の1学期
評定を上げようとした記憶がある。
恐らく、その頃に進路指導で相談して、ルートを決めたのだろう。
まわりはまだ全然受験モードじゃなかった。
母にとって幸いなことに、
1年生、コツコツやれてて
2年生、3学期にはもうこのルートに気づいて頑張って
3年生一学期、あえて狙って評定を上げるように頑張って
女子高で理系だったので、もともと競争率が低く
その高校からなら、あえて狙わずとも普通に入れるレベルの大学だったので(多分💦)
(ゴーマジ先生の良く言う、「見合う大学」ではなかったと思う。)
結局無事に指定校とれて、GOとなったのです。
小論書いた…かは忘れたけれど、
面接で、制服の上着の一番下のボタンを閉め忘れてて
(座りジワ防止のため)
高校面接に続き、またやらかしたー!と焦ったことは覚えてます。
確か11月の中旬あたり、
まさかのその日が自宅引越しの日で(笑)
前の家から面接会場へ行き、
面接会場から、新しい家へ行くという。
そうしたら、引越しの荷物より先に着いちゃって
鍵もなく
0123アート引越センターのトラックを
土地勘もない新しい居住地で一人さみしく待つというね(笑)
携帯も無い時代に、どれだけ心細かったか!(´Д⊂ヽ
大学の面接よりソッチノ方がよほど記憶に残ってる。
大分話がずれましたが、
昨日のオヤタンで母が一番感じたのが
母のルートは
「コツコツ、真面目に、継続してやれてきた子の証」
みたいに言われているような気がして
ちょっと救われたような気分になったのです。
自分でも
安パイのルートを早々に決めちゃって、勝負から逃げた
のかな、、、ってマイナスに思うこともゼロではなかったというか。
そもそも、熱望する大学もないので勝負もクソもないんですけどね💦
もし早めに希望大学、学部が定まれば
枠を多く持っている高校を狙うとかもできるわけで
年単位の戦略を考えることで
負荷も課金も無駄を減らすことができる?!
うーむ
責任重大だ
でも、私たちには松江があるから親単科があるから
きっと大丈夫!(^^)/