先日、気になる記事を読みました
==以下 記事抜粋==
算数の文章題を子供にさせるとき、問題文を自分で読むと解けないが、
親や先生に問題文を読んでもらうと解ける、という子がいます。
読んでもらえば解けるということは、算数の知識や計算力が不足しているというわけではありません。
耳で聞けばわかるのに、目で読むとわからない。
つまり、「耳のボキャブラリー」はあるのに、「目のボキャブラリー」がないのです。
===抜粋終わり===
鶴田式算数塾という塾の代表の方のお話だそうですが
昨今問われている「読解力」にもかかわることじゃないかなと思いました
てにをは を正しく使えたり、
音読するときに、ひともじずつではなく、ある程度の「かたまり」として認識することが
出来るとできないのとでは、読みのすらすら具合が確かに違ってきます
私はとくに「耳のボキャブラリー」「目のボキャブラリー」とフレーズが
非常に腑に落ちたというか、なるほどそうかもなぁ と思いました
実は私は、テレビドラマを字幕でみます
洋画の字幕じゃありません
耳が悪いわけでもありません
その方が、理解が早いからです
特に、刑事ものや医療系が好きでよく見るのですが
「OO対策なんちゃら法案」とか「✖〇ナントカ麻酔」なんて身近じゃない言葉は
字面で見たほうが、一発でわかりますから
最近はもっぱら字幕で見ます
エヴァンゲリオンとかも、字幕だともっと理解が進むんじゃなかな。。。
知っているアニメでも、字幕で見ると新しい発見があったりします
聞き流していたものが、より深く入ってくる気がします
そもそも字幕で見始めたのは、子が小さいころ、
お昼寝中に静かにドラマを見るためだったのですが、
だんだん、子がうるさく遊ぶ中でドラマの音声が聞こえづらいとか
1.6倍速でドラマを見ようと思ったら、音声聞くより見るのが早い
ってことで、今字幕なのです
それでいうと、私は目のボキャブラリーが豊富らしく
黙読早いです
音読(初見の読み聞かせ)得意です
なるほど、これはいいスキルかもしれない と感じました
これを子にどう落とし込むかは もうちょっと考えなくてはいけませんが
今後絵本を読んだり、読んでもらったりするときには
「目のボキャブラリー」のことを頭の片隅に置きつつ接しようと思ったのでした